□ 2013.07.04 旧柳沢邸
  本住宅は、昭和36年(1961)柳澤君江氏により、住居兼書道教室として建築されました。 (施工:株式会社高梨組 東京都中央区京橋)柳澤邸は、国登録有形文化財に登録された小住宅を核として2階建住宅、お宮、保存樹、井戸廻りの外構を保存活用します。 なお、敷地南は「大原一丁目柳澤の杜市民緑地」(世田谷トラスト)として公開しています。本工事では2階建住宅の耐震補強、劣化部の修理、保存活用改修を行います。築後50年前後の戦後、 昭和中期の住宅の保存活用のケーススタディーとして、工事状況を公開します。2階建住宅の公開は平成25年9月中旬予定です。



 ワークショップ配布資料
  (柳澤邸2階建住宅耐震補強・保存活用改修工事 第1回耐震補強工事)


 
「小さな鎮守の杜」づくり



 2010.04.14 旧伊藤博文金沢別邸  
   初代内閣総理大臣を務めた伊藤博文公により明治時代に建てられた茅葺寄棟屋根の田舎風海浜別邸建築。横浜市野島公園内に移築復元しました。


  第55回 神奈川建築コンクールアピール賞 受賞
  第26回 都市公園コンクール国土交通大臣賞 受賞
  第7回 横浜 人 まち デザイン賞2015 まちなみ景観部門 受賞   


 *旧伊藤博文金沢別邸が「第7回 横浜・人・まち・デザイン賞」で、
   
  
 

 旧伊藤博文金沢別邸 リーフレット【表紙】

 旧伊藤博文金沢別邸 リーフレット【1】

 旧伊藤博文邸金沢別邸 リーフレット【2】  

  

□ 2007.08.06 太陽誘電梶@創業者記念館

  群馬県の太陽誘電鰍フ創業者記念館は、昭和35年に現地に移築された近代和風建築ですが、その来歴はとてもユニークなものです。

もともとは榛名工場の事務棟として使用されていた建物ですが、昭和35年の趣意書には以下のような由来が書かれています。

・前身建物は、明治5年に高崎城址に創建された、旧高崎歩兵第15連隊の兵営とともに建設された、将校集会所 に隣接する貴賓室である。
・貴賓室の用材には、高崎城天守閣の一部を原型のまま保存して建てたとされる。
・明治、大正歴代天皇の御座所にもなった、由緒ある建物である。


この趣意書の内容を確実に裏付ける資料は、現在のところまだ発見されていません。
しかし現存する銅版画(明治33年)には「酒保 准仕官下士團 集会所」と書かれた2階建ての建物の裏側に隣接する、寄棟造りの平屋建物が描かれており、この建物が「貴賓室」である可能性があります。

また高崎城には天守閣はなく、三重の隅櫓のことを指しているのではないかと類推されます。
残念ながら本建物の用材が高崎城のものかを確かめることはできませんでした。

現在、旧高崎歩兵第15連隊の遺構は、そのほとんどが姿を消しており、城郭建築の用材が転用されていたとなると、ますます貴重な建築物となります。

今後の発見に期待したいところです。



 2006.08.21 旧伊藤博文邸


伊藤博文といえば初代総理大臣、明治憲法草案の起草者として知られる人物。
この別邸は横浜市金沢区にあり、現在は野島公園の一部となっています。

伊藤博文の別邸というと、憲法草案の起草を行った夏島別荘(神奈川県横須賀市)が有名ですが、夏島別荘は陸軍用地であったため、 砲台の建造に伴い小田原へ移築されました。(その後、関東大震災で倒壊し、現存はしていません)博文は、その夏島別荘の代わりに、 憲法発祥記念館として後世に残そうとしたのが、この建物です。

創建時の明治30年(1897当時は、現存する客間・居間・台所・便所の4棟のほか、 玄関・湯殿を含んだ6棟がありました。客間・居間・台所の3棟は茅葺屋根ですが、 他の3棟は小田原葺きであったと推定されています。小田原葺とは板葺き屋根の一種で、 竹棟を乗せ、屋根の勾配方向へ押え竹を施す葺き方です。その名の通り小田原宿でよく見られた葺き方ですが、 この金沢の地でも多く用いられたものであることが古写真からわかっています。現存例の少ない、珍しい葺き方です。

敷地東側は東京湾という、開放的なロケーション。海に向けて開けた平坦に近い庭園は、広々とした芝生敷きで、 景観良く配する東京湾を望む別荘庭園独特の造りを色濃く残しています。この庭園にはもうひとつ大きな特徴があります。 現在はコンクリートの防波堤に覆われている岸壁は、階段つきの石垣で、その向こうには砂浜が続く船着場となっていました。 博文をはじめ皇室関係者などの来客は、舟でこの船着場に着き、庭園を通って建物に入ります。そのため、夜間の接岸用に、 海岸線に沿って石燈篭を並べ、その明かりを目印にしていました。対岸から漕ぎ出でるときには小さく見えた明かりが、 近づくごとに明るさを増し、ぼんやりと別荘の影を映し出す頃に岸に着く情緒的な演出であったことでしょう。

土地の建築意匠を用いた素朴な建物と、海を意識した広がりのある庭園の両方を残すこの別荘は、歴史的建造物として認められます。