トピック【2006.08.21 旧伊藤博文邸】


 伊藤博文といえば初代総理大臣、明治憲法草案の起草者として知られる人物。
この別邸は横浜市金沢区にあり、現在は野島公園の一部となっています。

 伊藤博文の別邸というと、憲法草案の起草を行った夏島別荘(神奈川県横須賀市)が有名ですが、夏島別荘は陸軍用地であったため、 砲台の建造に伴い小田原へ移築されました。(その後、関東大震災で倒壊し、現存はしていません)博文は、その夏島別荘の代わりに、 憲法発祥記念館として後世に残そうとしたのが、この建物です。

 創建時の明治30年(1897当時は、現存する客間・居間・台所・便所の4棟のほか、 玄関・湯殿を含んだ6棟がありました。客間・居間・台所の3棟は茅葺屋根ですが、 他の3棟は小田原葺きであったと推定されています。小田原葺とは板葺き屋根の一種で、 竹棟を乗せ、屋根の勾配方向へ押え竹を施す葺き方です。その名の通り小田原宿でよく見られた葺き方ですが、 この金沢の地でも多く用いられたものであることが古写真からわかっています。現存例の少ない、珍しい葺き方です。

 敷地東側は東京湾という、開放的なロケーション。海に向けて開けた平坦に近い庭園は、広々とした芝生敷きで、 景観良く配する東京湾を望む別荘庭園独特の造りを色濃く残しています。この庭園にはもうひとつ大きな特徴があります。 現在はコンクリートの防波堤に覆われている岸壁は、階段つきの石垣で、その向こうには砂浜が続く船着場となっていました。 博文をはじめ皇室関係者などの来客は、舟でこの船着場に着き、庭園を通って建物に入ります。そのため、夜間の接岸用に、 海岸線に沿って石燈篭を並べ、その明かりを目印にしていました。対岸から漕ぎ出でるときには小さく見えた明かりが、 近づくごとに明るさを増し、ぼんやりと別荘の影を映し出す頃に岸に着く情緒的な演出であったことでしょう。

 土地の建築意匠を用いた素朴な建物と、海を意識した広がりのある庭園の両方を残すこの別荘は、歴史的建造物として認められます。