横浜市指定 I家長屋門 

I 家は江戸前期より現在の横浜市綱島台の名主であり、江戸時代全般に亘って名主を務めました。特に江戸後期には神奈川寄場組合大惣代、横浜開港後は綱島寄場組合大惣代として、開国・明治維新に至る動乱の時代に地域社会のリーダーであり続けました。また明治時代には居留地や横浜港に近いという立地を活かし、製氷業を営んだ実業家でもあります。蔵造りの氷室を備えた、当時の屋敷構えを写した銅版画が「大日本博覧絵」中に残っています。

 
 

現在の I 家。
屋敷地内には主屋と長屋門が残っています。書院・文庫蔵・製氷所・土蔵などは残念ながら残っていません。屋敷地を囲んでいた掘割は敷地南側に、その一部が残っています。(写真左)
長屋門は江戸後期の建築であるが、主屋は明治20年に火災で焼失し、明治22年に再築したものです。長屋門・主屋共に、棟を全て箱棟造りとした珍しい形式。

  解体修理後の長屋門正面。
大扉・潜戸付の門通路を挟んで正面左は、出格子窓が付く門番部屋と物置。右側は穀蔵となっています。軒は四方に腕木を出し、出桁を廻したせがい造りです。