□ 2005.09.12 日野宿本陣 |
甲州街道に日野宿が開かれてから400年目に当たる平成16年1月、日野宿の本陣(当初は脇本陣であったが、慶応4年の「御用留」より本陣と記される)旧佐藤彦五郎邸が歴史資料を中心とした展示施設として開館しました。 この建物は甲州街道に残る3軒の本陣のうちのひとつで、都内では唯一残る江戸期に建築された本陣建築として市の文化財に指定されています。 <甲州街道の本陣> 現在甲州街道には小原宿本陣(神奈川県相模湖町)、下花咲宿本陣(山梨県大月市)と、この日野宿本陣の3軒が残っています。これらは東海道の本陣建築のようにほぼ同じ様式の建築ではなく、それぞれの風土や産業を反映した個性的なものです。 <日野宿本陣の建築> 現在残る建物は嘉永2(1849)年の大火後に当主・彦五郎により建築されたもので、文久3(1863)年上棟、元治元(1864)年にほぼ完成したものです。屋根は桟瓦で葺かれ、建ちの高い切妻の本屋と入母屋屋根の式台が重厚な建物です。間取りは左土間の多室間取りで、北東側に鍵の手に上段の間と御前の間がありましたが、この部分は明治26(1893)年に有山家(彦五郎の四男の養子先)へ曳家されました。この2室は現在も有山家住宅として使用されています。 佐藤家では本陣である主屋に先駆けて長屋門が再建されましたが、大正15(1926)年の大火で被害にあい、通路親柱・大扉・潜戸が被害を免れ、冠木門として街道沿いに移築されています。 <展示資料> 土間と新たに改築された映像展示室を中心に、宿場関係の歴史資料のほか、玉川の渡場や太田蜀山人の資料を公開しています。 また彦五郎が天然理心流近藤邦武(近藤勇の養父)の門人であり、土方歳三の義兄であったことから、新撰組関連の資料も充実しています。 【日野宿本陣】 開館時間9:30〜17:00、月曜休館日 |
□ 2005.06.27 足利市内蔵調査 |
足利市では「市内民家調査」「市内近代化遺産調査」に続き、「足利市内蔵調査」を実施します。 旧市内と呼ばれる市の中心部を対象に、約100棟あると考えられている、蔵の現況を把握する悉皆調査です。 一口に蔵というと、漆喰の土蔵を思い浮かべることが多いようですが、ここでは大谷石などを積んだ石蔵や煉瓦蔵、木造の板倉も調査対象とします。 この調査では地図上で蔵の分布状況を把握するだけでなく、その建築年代や構造、保存状況などについても目視を中心に確認してゆきます。 そこで得られた結果から、今後の蔵の活用方法を多面的に検討する予定です。 |
□ 2005.06.27 宇都宮の木骨石造調査 |
栃木県は石材、特に大谷石の産出地として有名です。そのため石造建築も多く、特に耐火性を求められる蔵は外壁に大谷石を用いたものが多数あります。 今回、足利工業大学の渡邉研究室、新島抗火石建造物調査会と協力し、宇都宮市にある2棟の石蔵を調査しました。 この蔵は2棟とも外壁を大谷石で積み、その内部に木造の柱を建て小屋を組んだ木骨石造建築です。建築年代は明治期。 今後、所有者への聞き取り調査や野帳・墨書などから、建物の更に詳しい姿を解明する予定です。 |
□ 2005.05.23 建文セミナー進捗状況 |
第1期建文セミナーは、順調に回を重ねています。 5月28日には第5回となる「活用型民家園の視察」で、世田谷区立次大夫堀公園民家園にて施設の見学と、活用・運営についての説明を受けました。 第6回は6月18日に、北区立ふるさと農家体験館の体験事業を例に、「民家園建設工事への区民参加」について考える機会を持ちました。以下にそのセミナー内容を簡単にご紹介します。 |
□ 2005.03.14 中国・大連の旧日本人街・旧露西亜町 |
日露戦争が終結する1905年前後、約40年間に亘り日本統治が行なわれた大連には当時の日本が残っています。経済・文化など様々な面で、総力を投入した成果を見ることができます。中山広場を取り囲む様式建築はもとより、旧日本人街には優れた住宅建築を見ることができます。 しかし現在、旧日本人街の多くが都市再開発などによる消滅の危機にあります。 旧日本人街のうち、南山麓周辺の保存事業(分譲住宅と観光開発)は良く知られるところですが、歴史的建造物の修復という視点とは異なった保存形式となっています。 高爾基路(コロスキー)地区では、100m道路拡幅計画があり、近年住宅建築の取り壊しが予定されています。その多くは、煉瓦造外壁の上をモルタル塗りのスタッコ仕上げとした、昭和初期のコロニアル風意匠をもつ懐かしい建物です。 建文では、大連の近代化発祥の地である旧露西亜町を始め、その他地域の旧日本人街の建物保存はもとより記録保存を含め、現在活動中です。 高爾基路地区(旧日本人街)の住宅建築写真を見る 旧露西亜町の写真を見る |