□ 2017.11.06 山本亭
 葛飾区柴又にある山本亭は、合資会社山本工場創設者の山本栄之助の住居として、大正14 (1925) 年に建てられました。敷地内には区登録文化財及び東京都選定歴史建造物に指定されている主屋のほかに、長屋門が残されています。

 主屋は、木造平屋一部2階建て寄棟造り桟瓦葺の和洋折衷住宅(洋館付和風住宅)です。大正151926)年から昭和初期にかけて段階的に増改築が繰り返したとされ、どの部屋からも庭が望めるように、建物が雁行するように配置されています。
長屋門は、木造平屋建て寄棟造り桟瓦葺の洋風建築です。

 現在は葛飾区が所有し、観光施設として当時の風景を展示・公開するために活用されています。

 本業務では、建物の照合及び実測調査、劣化調査、耐震診断、補強案の作成業務を行いました。

 
 2017.11.06 明治記念館  
 明治記念館は、明治141881)年に赤坂仮皇居御会食所として、宮内省内匠寮の技師・木子清敬の設計により旧紀州徳川家の中屋敷跡地(現・赤坂)に建てられた建物です。その後、明治41年に憲法記念館恩賜館として伊藤博文別邸内(品川区大井)に移築されましたが、大正7年には憲法記念会館として明治神宮外苑に移築されました。

 昭和22年に明治記念館として運営されるようになってからは、木造軸組を残しながら周囲に木造、鉄骨造、鉄筋コンクリート造による増改築が繰り返され、現在の姿となりました。

 耐震診断に係わる調査では、古くから残る木造軸組と増築建物の接続方法等の構造形式調査を行い、さらに各部の破損劣化状況調査も行いました。その結果、木造軸組の柱を切断し、増築された建物の屋根スラブでそれを受けるなど、互いの建物が複雑に絡み合っていること等が確認されました。
 

□ 2017.10.16 聖心女子大学 旧久彌邸(現パレス、クニパレス)

 聖心女子大学の敷地内には、旧久邇宮邸の本館の一部、車寄、御常御殿が残されています。

 大正6(1917)年から大正15(1926)年にかけて建てられたもので、設計者は宮内省内匠寮(本館、車寄)と森山松之助(御常御殿)、施工者は横溝豊吉(御常御殿)であったとされます(本館、車寄の施工者は不明)。

  旧久邇宮邸はそうそうたる日本画家によって描き彩られた襖や引戸(かつては格天井にも描かれていた)や、様々な模様にあしらわれた寄木張の床が特長の日本建築で、大学ではこれらの特徴を生かし、茶道や華道など、情操教育の場として使用されていました。

 本業務では、今後もこれらの建物を良好な状態で維持し、活用していくための基礎資料となる現況図面の作成し、そして耐震診断に必要な構造調査及び劣化状況の調査を行いました。 また、建物の保存状況についての評価及び劣化診断を行い、今後建物を保存していく上での留意点をまとめました。
 
 

□ 2017.10.12 大宮八幡宮 旧本殿及び旧拝殿

 大宮八幡宮旧本殿は、昭和30年代中ごろまで、東京都杉並区の大宮八幡宮で使用されていた社殿の一部です。昭和37年頃の社殿建て替えに際に、本殿等が近隣住宅の敷地内に曳家され、その後、増改築して使用されていました。

 旧本殿の規模は桁行三間、梁間二間の流造で、屋根は亜鉛鉄板葺です。正面側には梁間二間、桁行三間、亜鉛鉄板葺の向背付拝殿が建ちます。本業務では、現況と解体記録調査を行い、曳家以前の状態や部材の残存状況等を確認しました。その結果、当初は幣殿・拝殿をもつ社殿だったことが判明し、屋根からは 杮葺きの痕跡、外壁には朱漆が、現状の仕上げの下から確認できました。また、本殿及び拝殿向拝に使用されている材の多くが、曳家以前の古材をそのまま再利用していたことが判明しました。

 創建年代については、向拝柱の柱頭に天保10(1839)年の墨書きが残されていたこと、そして大宮八幡宮に保管されている旧本殿高欄の擬宝珠に「元禄10年」(1697年)の陰刻があることから、元禄時代までさかのぼる可能性があります。

    
□ 2017.08.07 味の素高輪研修センター表門
 味の素高輪研修センター表門は、昭和7(1932)年、味の素の創業者である鈴木三郎助の自邸建設に伴い、表門として建てられました。なお、自邸は元宮内省内匠寮技師・木子幸三郎の設計、清水組(現・清水建設株式会社)の施工の建物です。

 表門は一見して木造の建物ですが、柱と腕木に鉄骨を芯として利用していることが調査により明らかになりました。控え柱は鉄骨の周囲を当て板で覆い、当て板の継ぎ目がわからないよう几帳面を用いる等の意匠的な配慮が見られました。

 本工事では、鉄骨柱の柱脚が腐食していたため、基礎の新設と共に鉄骨柱の取り替えを行いました。また、桁行方向に対して耐震的に脆弱であったことから、鉄骨柱の間に補強梁の新設を行いました。補強梁の設置に際しては、木梁または鉄骨梁の2種類が考えられましたが、オリジナルの意匠を考慮し、木梁よりも小断面で対応可能である鉄骨梁を採用しました。なお、鉄骨梁には当て板を施し、後の時代に設置したものであることがわかるよう古色塗装等は行わず、素木のままとしました。


  □ 2017.08.07  よみうりランド 極楽門
 極楽門の来歴は明らかになっていませんが、読売新聞社の第7代社長であった正力松太郎によって当地に移されたとされ、門には正力の書による幣額が掲げられています。よみうりランドの敷地内には、他にも黒田門や多宝塔など、正力によって収集された歴史的建造物が今も残されています。

 極楽門は総欅造りの薬医門で、全体に弁柄が塗られています。約一間幅の袖塀の前には寛永年代の石仏が安置されています。

 このたび敷地内に新たな施設を設けることとなったため、部材の解体・保管をおこない、同敷地内の高台へ移設しました。移設に伴い、破風などの劣化部の補修を行い、木材には全て弁柄塗装を施しました。欠損した門扉の唄金物等などは、現況に倣い新たに製作しました。また、既存の袖塀は後に付けられたもので、劣化が著しかったため、移設後新たなに袖塀を施工しました。