「再発見!伊豆下田の石造建築を見直す」
-加田家曳家修理を通して-
 
 
     
   と銘打ち、平成16年9月11日に行なわれた下田市の石造建築保存シンポジウムは、曳家中の現場説明会・シンポジウム共に無事終了しました。

写真は油圧ジャッキを使った揚家が終了し、曳家の準備が整った加田家の写真です。
建物の歪みや基礎部分を補強した鉄骨は、そのままレール上を転がすための土台となります。曳家は振動の少ない油圧ジャッキを用いて行ないました。
写真下部で、その鉄骨とレールの状態が見て取れます。

曳家の様子を含め、新聞各紙・ケーブルテレビでシンポジウムの様子が紹介されました。(原文のまま、ご紹介します)  
 
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  伊豆新聞(平成16年9月10日 金曜日)
『再発見・下田の石造建築  あす見直しのシンポジウム』
 
  下田市の石造建築保存シンポジウム「再発見・伊豆下田の石造建築を見直す」-加田家曳家保存修理を通して-(加田家保存修理調査団、下田石造建築調査会主催、下田市教育委員会共催)が11日午後3時から、ベイ・ステージ下田4階会議室で開かれる。
 下田市には安政元(1854)年の大津波の被害を受けて以来、明治、大正時代まで石造建築が多く建てられていた。日本では珍しい石造建築の技法がどのようにして興り、地震の多いこの地になぜ残っているのか。市指定歴史的建造物加田家の曳家工事を通して、さまざまな角度からその秘密を解明する。
 午後1時から1丁目の加田家で現場説明会。午後3時から5時までベイ・ステージ下田でシンポジウム。パネリストは福田省三さん(足利工業大学講師、司会)、加田博さん(所有者)、稲葉和也さん(建築史家、前東京都文化財保護審議会委員)、田中昭之さん(建築文化研究所主任研究員)、石井榮一さん(新島コーガ石建造物調査団団長)、柴田徹さん(考古石材研究所所長)を予定している。 
   
 
     
  産経新聞(平成16年9月12日 日曜日)
『歴史残す お引越し  そろりと5メートル1時間かけ』
 
 
 加田家は約100年前に建築された伊豆石造りの2階建て住宅(延べ面積165平方メートル)。家屋周囲の壁をナマコ壁と黒漆喰で装飾し、屋内は総ヒノキ造りの豪華な石造木工建築で、開国の町下田の歴史的観光価値から市内で13件の市指定歴史的建造物のひとつに指定されている。
 加田家の移転保存は、稲生沢川河口の「みなと橋」架け替え工事に伴い、住宅の一部が取り付け道路の拡幅計画(幅員14メートル)に引っかかった。加田さんは解体か移転の選択を求められ、「先祖の建てた歴史的な石造建築をそのまま保存したい」と移転を選んだ。
 住宅移転には家屋全体をジャッキで持ち上げてレール上を動かす曳家工法が採用された。伊豆石の建物は解体移築が難しいためで、加田家保存修理調査団(稲葉団長)を組織し、曳家工法専門業者の恩田組(東京)が工事を担当。20トンジャッキ2台で1分間に約8センチの速度で家屋を押して移動させた。
 下田市内は安政の大地震(1854年)で壊滅的な住宅被害を受けて以来、明治、大正時代に伊豆石などを利用した石造建築が多く建てられた。現在でも旧市内には旧南豆(なんず)製氷など約40軒の石造建築が残っている。
 稲葉氏は「下田市は石造建築の集積が全国で最も多い。日本では珍しい石造建築の技法が、下田でどのように興り、発展したかを調査研究したい」という。調査団は移転工事後、加田家の移転保存を通じてシンポジウム「再発見 伊豆下田の石造建築を見直す」を開催した。
 
  
 
     
  伊豆新聞(平成16年9月14日 火曜日)
『歴史的石造りの家屋移設 橋の架け替えで加田家5メートル 曳家工事公開に100人』
 
   下田市稲生沢河口の「みなと橋」架け替えに伴い、橋のたもとの石造り建物の曳家保存修理が11日、同市1丁目の元行員加田博さん(78)宅で工事が公開された。明治後期に建築された同家は、ケヤキの大黒柱、壁は伊豆石とナマコ壁、黒漆喰を装飾した木骨石造り2階建て住宅で同市歴史的建造物の一つ。
「3代続いた石造りの家を解体できない」と東京の文化財関係者や業者に依頼、移設に踏み切った。工事終了後、石造建築保存シンポジウムがベイ・ステージ下田で開かれ、市民50人が参加した。
 加田家は明治時代にカツオ船網元をしていた加田由蔵氏が、三男・万蔵氏=元下田町長=の分家として建築したものだが、棟札なく正確な建築年代は不明。
 住宅は1階が8畳の和室2室と茶の間、玄関、台所。2階は10畳の和室と物置で、建築面積は約90平方メートル。曳家工事はみなと橋架け替えに伴い、取り合い道路拡幅に沿って住宅を南側へ5メートル移設、北側の住宅跡にポケットパークが設けられる予定。東京の専門業者が曳家を担当して6月頃から準備に取り掛かり、そろばん石と呼ばれる石造りの住宅の基礎に用いられていた長方形の石や、貝殻を練り合わせた土など撤去して掘削した。住宅の下部に鋼材と枕木を組み合わせ重さ約120トンの住宅を支え、油圧ジャッキで道路から1.2メートルの高さに上げた。
 公開された曳家工事は川下側へ5メートル移動させるため、油圧ジャッキで60センチずつ慎重に動かし、更に川側へ30センチ動かした。移動に要した作業は、約1時間で終了した。この工事を見学するため、市民約100人が訪れた。
 三代目当主の加田さんは「市の事業で家の移動の話があったが、100年続いた石造りの家を一度、解体すると同じ家を作り直すことは困難。昔の写真を見ても、みなと橋のたもとにいろんな石造りの家が一緒に写っており、何とか保存したかった。無事に工事が終わることを願っている。工事が終わりしだい住みたい」と話していた。
 ベイ・ステージ下田で開かれたシンポジウムでは、加田さんから住宅保存の相談を受けた建築史家・稲葉和也氏(元東京都文化財保護審議委員)が「昨年春に加田家を見せてもらった。下田や松崎は木造のなまこ壁建築は主体と考えていたが、認識を改めさせられた。伊豆は関東と中部の境で石造建築の調査が十分でなく、加田さんの保存の熱意に打たれ協力することにした。日本全国には石造りの倉庫は多いが、家屋は皆無で大変、貴重だ。また、加田家の本家の建物も同じ工法。石を積み上げ、免震の工夫がされているなど技術的なことは今後の調査を待ちたい」と報告した。
 同氏はさらに下田市内の中心部に39棟の石造り住宅が現存しており、立野地区の12棟は国重要建築物郡クラスの価値があるとの見解を示し、下田は石造り建築物の宝庫であることを強調した。下田市内に石造り建築物が多いのは、1854年の安政大地震の津波被害で建物が流出したためと推定されるが、それだけでは説明できない謎も残されており、下田を「石造りのまち」として売り出し、下田の再生を図ることが提案された。
   
 
     
  下田ケーブルテレビ番組情報(平成16年10月1日 第496号)
『歴史を語る下田の石造建築 〜加田家曳家工事〜 』
 
   下田市の歴史的建造物に指定されている市内1丁目の加田博さん所有の住宅で、建物をそのまま移動させる珍しい曳家保存工事が行われました。
 加田家の住宅は明治末期に建造されたもので、建物の側面を伊豆石で築き、その上を黒漆喰やなまこ壁で飾り、屋内は木造で築かれているなど、貴重な建物として注目されています。
 この工事は「みなと橋」架け替えに伴うもので、曳家では100年以上の歴史をもつ、東京の恩田組が担当しました。200トン近い重さの家屋を、12基の油圧ジャッキで、地上から1.2メートルほどかさ上げした後、川下に5メートル、南へ60センチ移動しました。
 加田家保存修理調査団の代表を務める、建築史家の稲葉和也さんは、この保存工事を機に石造建築の歴史、構造、工法の研究を進めたいと話しています。
 市内で初めて行なわれた石造建築移設工事、私たちは、8月から工事の様子を追ってきました。
 加田家曳家工事の模様をご覧いただきます。(10月15日 放送)